神道夢想流杖術、全日本剣道連盟杖道につきましては、

以下のホームページの解説が参考になると思います。

 

東京都剣道連盟 杖道部会

神奈川県剣道連盟 杖道部会

福岡県剣道連盟 杖道部

 

〈入間川杖道会の稽古内容〉

1、全日本剣道連盟 杖道

 

第二次世界大戦の敗戦後(1945、昭和20年8月15日)、

剣道は軍国主義を助長するものとして、GHQ(連合国軍総司令部)に禁止されます。

数年間の交渉の末に解禁され、1952年(昭和27年)には全日本剣道連盟が結成されます。

あまり知られていませんが、全日本剣道連盟は剣道だけの団体ではなく、

剣道、居合道、杖道の3つの武道を統括する団体です。(居合道、杖道とも昭和31年の加盟)

 

※わたくし(高羽)も小学3年生から大学卒業まで剣道をしていましたが、

杖道が全日本剣道連盟の一員であることは、紘武館道場への入門(1989、平成1年)まで

知りませんでした。

 

逆に一時期、全日本剣道連盟の一員であった「なぎなた」は、

全日本剣道連盟から分離独立し、「全日本なぎなた連盟」を設立しています。(昭和30年)

 

全日本剣道連盟には、12本の杖道基本と、12本の杖道形があります。

それらは、「神道夢想流杖術」の60数本の形の中から選ばれ採用されました。

 

全日本剣道連盟では、「剣道の理念」を

「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」

と謳っています。また、「竹刀の本意」として、

「竹刀という剣は、相手に向ける剣であると同時に自分に向けられた剣でもある」

としています。

これらの理念は、そのまま「杖道」にも当てはまります。

 

2、神道夢想流 杖術

 

正確には、神道夢想流杖術は亜流(別派)と言えるかもしれません。

流祖である夢想権之助から数えて5代目の原田兵蔵(1733、享保18年没)は、

4代目の樋口半右衛門から免許皆伝を受けた後、

「身分放蕩につき、破門」されます。

 

8代将軍・徳川吉宗の時代の身分放蕩が、どのような不祥事なのかは、

歴史学者に尋ねるしかありませんが、その後、原田兵蔵は別流派を立てます。

その流派は原田兵蔵の号に因み、「閑斎流」(かんさいりゅう)と呼ばれ、

のちのちの「神道夢想流」となります。

 

幕末までには、神道夢想流(閑斎流)の方が門人を増やし、

本家(樋口直系)と立場を逆にするほどの勢力となりましたが、

決して本家、分家として、いがみ合っていた訳ではありません。

 

事実、4代目の樋口が病床に倒れた際、

すでに破門されていた5代目の原田は、樋口の道場に駆けつけ、

体を動かせない樋口に代わり、後輩たちに秘伝「五夢想」を伝授しています。

 

また、逆に、

幕末の頃、本家(樋口直系)は守城流(もりきりゅう)と呼ばれていました。

明治維新以後、守城流は姿を消しますが、

現在(平成30年)でも、神道夢想流(閑斎流)を修行する者は、守城流の杖の遣い方を、

別法(異なる杖の遣い形)として稽古しています。